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にいがた映画塾、設立の経緯むかしむかし、8ミリフィルムが全盛だった1980年〜92年ごろ、新潟では映像制作が盛んでした。大学生を中心に、自主映画・ビデオの上映イベント「にいがた映画祭」が開催され、そこから「ぴあ」が権利を買い取るような優秀な作品も出ていました。ところが、ビデオが一般に普及して、マニアに限らずだれもが映像をつくれる時代になったにも関わらず、皮肉にも新潟ではここ数年までは作品自体がまったく出てこなくなり、「にいがた映画祭」は長い休眠を続けていました。そんなとき、新潟市出身の作家・坂口安吾原作、手塚眞監督による映画「白痴」が1998年夏、新潟県内で撮影することになりました。手塚監督は、東京のスポンサー資本で、東京のオープンセットで映画を撮り上げる現在の劇場用映画の手法とは違い、原作者ゆかりの地で半分近くの資金を集め、オープンセットを建て、地方の協力を得ながら映画を撮り上げるという方法を選びました。 映画という素晴らしい表現手段を軸にして、新潟県民、市民が「白痴」スタッフとコミュニケーションをはかり、地元にとって実に身近な存在であることを知ってもらうための方法として、映画好きの有志が集まり、映画のつくり方、奥深さを伝える映画講座「にいがた映画塾」を開講することにしました。 「にいがた映画塾」は、97年1月に第1期が開講。98年7月までに第3期までを開き、のべ130人以上の卒業生を出しました。その中からは「白痴」のスタッフに参加したり、ほこりのかぶった8ミリムービーを回して自主映画に傾倒したり、東京の映像関係の大学・学校に進んだり、イギリスの映像学校に留学した人もいます。 「白痴」は98年8月に無事撮影を終了しました。映画塾はその目的の一つを成し遂げた事になります。「白痴」以後をどうするか。スタッフ、卒業生らは検討を重ね、映画塾は映像講座だけではなく、任意の市民団体として発足することになりました。 「映画」の魅力や無限の可能性を広く知ってもらうこと、そして映像制作はだれにでもできて、しかも楽しい経験だということを一人でも多くの方々に知ってもらうこと。衰退した日本映画の応援団を育てること。次代を担う映像作家を新潟から輩出すること。東京の映画人やほかの地域でも広がっている同様な動きとも連携し、地方からの映像文化の発信をできるようにすることなど、映画塾は「映画」を媒介にしたさまざまな「火付け役」になれればと考えています。 1998年10月 にいがた映画塾
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